Dreams leaking from my queer brain.

ジョシが好きなジョシのブログ

幸せになる、って何だろう

以前、
同性同士では幸せになれないと思っていた。
と書いたけど、幸せになるって何だろうと今更ながら考え直した。

 

自分の意識も日々変化していて当時考えていたことを完全には思い出せないのだけれど、察するに

「男女」で恋愛をして、「結婚」して、社会的にも認められ、支えあいながら生活をする。

というのが「幸せになる」ということだと思っていた、のだろう。

 

僭越ながら自分では自分のことを「リベラルな」人間だと思っていて、男女平等や夫婦別姓の問題には子供のころから関心を持っていたし、ジェンダーについてもセクシャリティについても、多数派である「シスジェンダー異性愛者」の方々よりは考えてきたという自負があった。

そんな私も、世間の「異性愛者がフツウ」であり「結婚が幸せ」であるという価値観に染まっていたんだなぁ。

 

はたして私は、結婚する人に向かって「おめでとうございます」と言うとき、何についておめでとうと言っていたのだろう。

結婚できたこと?
結婚によって社会的に一人前になったこと?
結婚できない人間でなくなったこと?
生涯の伴侶をみつけたこと?
好きな人と生涯一緒にいる約束をしたこと?

 

私が求める幸せって何だろう。

いつも笑っていられること?
なるべく苦痛が少ないこと?
友人に囲まれていること?
大切な家族が元気でいること?
素敵な人と愛し合うこと?
その人と頼り頼られるパートナーでいること?
その人がいることで笑顔が増えて辛さが和らぐこと?

 

その答えを探していくと、自分が同性を好きになることも、同性同士でいることも自分の幸せのためには障害にならなとあらためて気づく。
けれど、少し前の私のように考える人にとって、同性を愛する人は幸せになれないかわいそうなマイノリティなのかもしれない。

 

幸せについて考えると、もちろん人それぞれ違っていて、私のように考える人の他に、
好きなことをして生きていくことだったり、金持ちになって贅沢な暮らしをすることだったり、一人で悠々自適に暮らすことだったり、幸せが結婚という価値観とは結びつかない人たちもいるはずなのだ。

それぞれの求めるそれぞれの幸せの形が尊重され、馬鹿にされない世の中になるといいなぁと思った。

 

 

などとね、考えるわけですよ。
アラサーになると周りからいろんな視線や「ご助言」をいただくようになるんですが。彼らは「結婚」が最上の幸せで求めるべきゴールだと心から信じているようで。
もうね、ほっといてくれと。どうしても早く結婚したほうがいいよというなら、私の理想の相手(かっこよくかわいく知的で優しく包容力があり趣味が合いお胸のちょい大きめな女子)を連れてきて、ついでに法律改正してくださいよと。
世の中には同性愛者もバイセクシャルアセクシャルもいるし、道ならぬ恋をしている人も、最近別れた傷心の人も、事情があって結婚しない人もいるでしょうよと。
人の事情も知らないで無責任にそんなこと言ってんじゃないよ。という言葉はもちろん口には出しませんけどね。