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Dreams leaking from my queer brain.

ジョシが好きなジョシのブログ

考え方は日々変わっていくよ。〜LGBTというワード

LGBT-SOGI

 「自分の考え方が変わる」というのは子供の頃には思いもつかない概念だった。アラサーの今となっては、10年前に考えていたことを、なんでそう考えてたのって疑問に思うことはザラだし、1年前、半年前ですら、今とは考え方が違っていると感じる。

一番変わったというか、当時分かっていなかったと思うことのひとつは、自分がどんな人間なのか、どういう人を好きになるのか、といういわゆるセクシャリティの部分。

自分が世間一般に“普通”といわれる異性愛者ではないこと。そんな根本的なことも、少しずつ少しずつ、たぶん10年くらいかけてじんわりじんわり理解して、自分の中の誤解を解いていったんだと思う。

 

ところで最近、セクシャルマイノリティ関連の活動の“最先端”を行っている人たちの一部で、LGBTという言葉やレズビアン、ゲイという言葉と決別しようという動きを感じるのだけれど。

 

推測するに、
LGBTレズビアン、ゲイ、バイセクシャルトランスジェンダー)に当てはまらない人はどうなんだ、とか、
言葉で括ることでその中の多様性が無視されてる、とか
レズビアンはOO、ゲイはXXという偏見が生まれる、とか
他人からラベル付けされるのがもはや嫌、とか
そもそもそういう言葉で事細かく分類するのってどうなんだ、とか

 そんな感じ...? 

あたしはLだけど、Lはあたしの全てじゃないのです。』っていうタイトルのブログがあるのだけど(秀逸なタイトルだと思う。自分の名刺にも書きたいくらい全面的に同意。ブログ復活してうれしい。最近あんまり更新されなくて悲しい。)、LGBTという言葉から離れようとする人たちの中には、その言葉を使うことでそれがその人の最大の個性、もしくは、その人全体を表すものとして受け取られたりするということを良しとしない人達もいるのかなと思う。

 

こういう議論が活発にされること自体はすごくいいと思う(小並感)。

"最先端"の人たちが新しい領域にぐんぐん突き進んでくれることで、新しい気づきや新しい世界が生まれると思うから。

 

だけど個人的には、「この言葉はもう古い認識だから、LGBTなんて使わない方がいいんだ。みんなで、この言葉からさっさとさよならしようよ」ということを全体に求めるのはどうなのかなと思うのだ。その言葉から離れられるのは、その十分その恩恵を受けたからこそで、まだそこの段階に至ってない人=自分が何者なのか模索し始めたばかりの人には、LGBTや、レズビアン、ゲイ、バイセクシャルトランスジェンダーというわかりやすい定義は、結構大事なんじゃないかと思う。

 

例えば「あ、自分はレズビアンなんだ。女性を愛する女性なんだ」とまず認識すること。そして、世の中のいろんな生き方してるレズビアンの人たちを知って、自分の落ち着きどころを見つけるということ。そのプロセスは自己肯定に重要なんじゃないかと思う。*1


 そうして自己肯定のプロセスを経たその後に、次第にレズビアンという定義でタグ付けされる人たちの中に多様性を見て、レズビアンとかいうタグがその人を構成するほんの一要素なんだと気づいて、レズビアンとかLGBTとかいうタグを前面に押し出すことってあんまり意味ないんじゃないか、むしろいろんなことを阻害してるんじゃないかっていう認識に至るんじゃないかな。

 

自分は何者なんだろう、っていう人がいきなり「レズビアンって定義いらない」とはならないと思うのよね。*2

 

セクシャリティの分類などというものはつまり、「こう分けられるのだ」という決まりではなく「こう分けると便利じゃないかなぁ」という提案なのです。

(牧村朝子.『百合のリアル』より)

 

つまり、今はこういう単語を敵視せずに、自分が生きやすいように便利に使っていけばいいのではと、私は思う。という話でした。

 

おわり。

 

(ここまで長々書いたけど、実はまだ現代思想読んでないので(汗)来週にでもしっかり読もうかと思ってます。)

百合のリアル (星海社新書)

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現代思想 2015年10月号 特集=LGBT 日本と世界のリアル

現代思想 2015年10月号 特集=LGBT 日本と世界のリアル

 

 

*1:セクシャルマイノリティがこういう(マイノリティではない人たちが経なくてもよい)プロセスを経て自己肯定をしなければならないというのは、今の世の中の現状があるからで、その現状を変えるためにまずこの単語から離れようよ、という考え方もあるのかもしれませんが。

*2:もちろん私も、そういう単語が死語になって、いちいち取りざたされることのないような世界が、なるはやで来て欲しいと思っている。